重要文化財
松山城には天守を含めて21もの重要文化財があります。観光のポイントをご紹介します。
21棟の重要文化財
天守、三ノ門南櫓、二ノ門南櫓、一ノ門南櫓、乾櫓、野原櫓、仕切門、三ノ門、二ノ門、一ノ門、紫竹門、隠門、隠門続櫓、戸無門、仕切門内塀、三ノ門東塀、筋鉄門東塀、二ノ門東塀、一ノ門東塀、紫竹門東塀、紫竹門西塀
松山城には天守を含めて21もの重要文化財があります。観光のポイントをご紹介します。
天守、三ノ門南櫓、二ノ門南櫓、一ノ門南櫓、乾櫓、野原櫓、仕切門、三ノ門、二ノ門、一ノ門、紫竹門、隠門、隠門続櫓、戸無門、仕切門内塀、三ノ門東塀、筋鉄門東塀、二ノ門東塀、一ノ門東塀、紫竹門東塀、紫竹門西塀
天守と小天守
天守は三重三階地下一階の層塔型天守で、黒船来航の前年に再建された江戸時代最後の完全な城郭建築です。詳しくは天守についてをご覧ください。
小天守は、二重櫓、小天守東櫓とも呼ばれ、大手(正面)の二之丸・三之丸方面を監視防衛する重要な位置にあります。天守、小天守、隅櫓を渡櫓で互いに結び、武備に徹したこの天守建造物群は、わが国の代表的な連立式天守を備えた城郭といわれています。
一ノ門
一ノ門は天守に通じる本壇入口を守る門で、木割も大きく豪放な構えとなっています。形式は上方からの攻撃が容易な高麗門で、二ノ門との間は枡形という方形空間となっていて小天守・一ノ門南櫓・二ノ門南櫓・三ノ門南櫓の四方から攻撃できます。
左から北隅櫓・十間廊下・南隅櫓
玄関に続く北隅櫓は小天守北ノ櫓とか戊亥小天守、南隅櫓は申酉小天守とも呼ばれ、天守に次ぐ格式をもつ櫓です。十間廊下は天守の搦手(裏手)にあたる西側の乾門方面を防衛する重要な櫓であって、北隅櫓と南隅櫓を連結する渡櫓でもあります。桁行が10間あることからこの名がつけられています。
筋鉄門は櫓門で、天守玄関がある中庭を防衛する重要な門です。この門の櫓は小天守と天守のをつなぎ、三ノ門から侵入する敵の正面を射撃する構えとなっています。
卯歳櫓、東隅櫓とも呼ばれ具足櫓でありましたが、後に本壇の鬼門(東北隅)にあたるため、城の安泰を祈り久松松平氏の祖先神である天神(菅原道真)を祭ったのでこの名称です。全国的にあまり例のない寺社建築の正面扉(しとみど)を有する櫓となっています。
本壇に接して紫竹門および続塀があります。乾門方面からの侵入に対し、この門と東塀・西塀によって大きく仕切ることにより、本丸の搦手(裏)を防衛する重要な構えです。
乾櫓は築城当初の二重の隅櫓で、本丸の乾(北西)の隅にある鈍角の石垣の上に鈍角の櫓が建っています。乾門・同東続櫓とともに搦手(裏側)を防衛する重要な構えです。
弾丸が壁を貫けないように壁の中に小石や瓦を詰めて厚くする、太鼓壁構造となっています。
手前から乾門東続櫓・乾門・乾櫓
この門、櫓は慶長年間正木城から移建されたといわれ、乾一ノ門とともに、松山城の搦手(裏)の門の中で、最も重要な構えとなっています。
日本で唯一現存する望楼型二重櫓
野原櫓は乾櫓とともに本丸北西を防備するとともに、その東にあった小筒櫓(跡)と本丸の北側を防衛する重要な櫓であり、日本で唯一現存する望楼型二重櫓で、天守の原型といわれています。
野原櫓(騎馬櫓)は、1階の天井の梁(はり)を通じて2階を支える構造となっています。これは「現存12天守」の犬山城と同じ初期の望楼型(ぼうろうがた)と言われる建築手法です。黒船来航の前年に再建された松山城の天守は、層塔型(そうとうがた)といわれる天守台(柱を受ける土台)の精度が要求される建築技術となっており、城郭の作事(建築)の技法が進化していく過程を本物で見ることができるのも松山城の魅力です。
南北2つの峰を埋め立てて本丸の敷地を作った際、谷底にあった泉を井戸として残したといい伝えられています。井戸の直径2m深さ44.2mで当時の技術では、通常、掘ることができない深さがあります。
隠門
隠門続櫓
この門は筒井門の奥の石垣の陰に隠された、埋門(うずみもん)形式の櫓門で、戸無門から筒井門に迫る敵の背後を急襲する構えとなっています。脇戸を持たず、扉の横板張りの中に潜戸(くぐりど)を仕組むなど規模は小さいですが、豪放な構えで、続櫓外部の下見板張りや格子窓形式の突揚げ戸などとともに、築城当時の面影を見ることができます。
戸無門から筒井門を臨む(隠門は見えない)
城の防備を固める上で、最も重要堅固な意味合いを持つのが筒井門と隠門です。戸無門を通過して、目に付くのは筒井門で、その奥にある隠門は分かり難くしています。これは、侵入者の注意を筒井門に向けさせ、そこを破ろうとする敵を隠門から打ち出て、背後から襲う戦略とみられています。これらの門の上には続櫓があり、松山城の守りの堅牢さを象徴するものとなっています。
この門は築城の際、正木城から移建されたと伝えられる松山城最大の門です。三之丸・二之丸から本丸へ向かう、大手(正面)の固めを構成する重要な櫓門で、城中で最も重要かつ堅固な所となっています。
この門は、本丸の大手入口の最初に現存する高麗門です。登城道U字屈折の終点に位置します。江戸時代に建造された当時から門扉がないので戸無門と呼ばれ、鏡柱にも扉を取り付けた痕跡がありません。
太鼓門
太鼓門・同南北続櫓・太鼓櫓・巽櫓は1つの防御単位を構成し、高さ約5mの石垣に一線に構築され、筒井門から本丸南腰郭に侵入してくる敵に備えています。
太鼓櫓
石垣の西端の太鼓櫓と太鼓門との間にある24.41mの渡塀には狭間21ヵ所、石落2ヵ所が設けられています。
本壇の鬼門(北東)にあたり、不浄門ともいいます。この方面の防備を担当すると共に、本丸防衛のための出撃口としての意味も持ち、敵が大手(正面)の揚木戸門に、あるいは、また搦手(裏側)の乾門方面に迫ったとき、この門から出撃して侵入者の側面を攻撃するためのものと考えられます。
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