第5回 全国城サミット in 松山

三浦 正幸教授(広島大学大学院)の講演要旨

 日本の天守の歴史は、織田信長が造った日本初の五重の天守である「安土城」を基本にして始まりました。信長が最初に造ったのは岐阜城で、山の下の平地に建てられた御殿でした。天守の表記は現在、天の「守り」と書きますが、信長は天の「主(あるじ)」と書きました。天主は中国語で神様を意味します。信長は日本の支配者になろうとしたと言われていますが、実は支配者を決める者、神の存在として造ったのが、これら天主だったのです。

 安土城天主は、日本で初めて高い石垣の上に建てられました。これ以後、多くの天守は平地ではなく、石垣の上に建つようになります。最初の岐阜城天守はおそらく屋根が三重だったと思われます。日本の天守で屋根の数が最も多いのは五重で、しかも五重の天守は天下人、もしくは天下人に準ずる者しか造ってはいけないという基準になりました。安土城天主の1、2階部分は御殿作りとなっており、御殿の屋根の上に遠くを見るための物見を載せています。この物見のことを望楼といい、望楼型天守と呼ばれています。いちばん最初にできた天守の原型です。

 信長の後継である豊臣秀吉も五重の大坂城天守を造りました。黒漆を塗った真っ黒な天守で、再建された現在のものとは全く違う建物でした。大きな木の彫刻の表面に金箔(きんぱく)を貼った豪華な飾りがついており、いかにも秀吉の天守だということが分かります。最上階には廻り縁、現代的に言いますとベランダが配置されていました。記録によりますと、秀吉はこの廻り縁の上に出て城下を眺めたらしく、廻り縁に出て外を眺めた日本で最古の例だと言われています。周囲から丸見えで、今だったら華やかなスターですが、昔だと恥ずかしいことで実際上るものではありません。その後、廻り縁は他の城ではなくなっていきます。しかし、松山城天守の最上階には廻り縁がきちんとついています。実際に外に出ることはできない見せかけの廻り縁ですが、天守の持つ格式をきちんと示しています。

 日本の歴史の中で、天守というのは大体150基ぐらい建っていただろうと思われますが、現在残っているのは、たったの12です。その中の一つ松山城は、天守の正面側(屋根の三角形の千鳥破風)が城下町を向いていて、これは信長の安土城以来の伝統です。お城下から城の正面が見えるというのは、日本の天守の半分以下しかなく、途方もない価値があります。松山城は天守の持っていなければいけない特徴をすべて兼ね備えており、安土城天主の思想を最もよく受け継ぐ日本を代表する天守だと思います。

 安土城は本能寺の変の後に火事で焼け落ち、石垣しか残っていません。その石垣も400年以上風雨にさらされ崩れ落ちています。復元した天主の図面をみると驚くことに、地下の真ん中に礎石が並んだ穴倉があり、その周りをぐるっと石垣が並んでいます。この地下の周りを幅二間の石塁で囲み、その上に入側(いりがわ)・武者走りが配置されているのは安土城で開発された伝統様式です。それが松山城天守にも正しく受け継がれているのです。

 安土城天主には、地下(穴倉)に入るための門がついています。信長はこの門を通って天主に上っていたとは思われません。復元図にはまだ書いていませんが、どうも本丸御殿からいきなり天主の石垣の上まで上る木造の階段、もちろん階段の外側に廊下の建物が建っていたと思われますが、いわゆる玄関から天主に上がっていたと思われます。地下から入るのは天下人の入り方ではなく、松山城はそれもきちんと受け継いでいます。

 松山城天守に入るには、最初にぐるっと回って一ノ門、それからまた曲がって二ノ門、また曲がって三ノ門、それからまた曲がって筋鉄門、とにかく天守の入り口のところは非常にしつこい。天守の最終的な入り方で日本一しつこいのがこの松山城、2番目が姫路城です。先ほど話した三角形の千鳥破風は、後世になるとただの飾りになるのですが、松山城の千鳥破風の中には二つずつ鉄砲狭間の小部屋が付いています。要するに幕末になっても、きちんと軍事建築であるという特徴を守り通しているのです。

 安土城の入側・武者走りの中には、大きな杉戸で廊下を仕切る「通せんぼ」が何カ所かありました。後世の天守では、こんなもの邪魔だということで無くなってしまうのですが、ここがもともと御殿だと考えれば主君に不用意に近づかないよう廊下を仕切るものは必要なのです。この入側のところに仕切りが残っている天守は現在、日本中でたった二つしかない。一つが犬山城天守の1階、一応現存最古の天守です、もう一つがここ松山城天守の1階なのです。そういった意味で考えても松山城天守というのは非常に価値があるということが分かります。

 ほかにも松山城はすべての階に天井が張ってあり、これは現存12天守で唯一です。信長の安土城、秀吉の大坂城は御殿作りだったので各階に天井があったはずで、その面影を残していると言えます。さらに松山城の1階から3階まで全ての階に床の間、床が付いています。安土城にも全て床の間がありました。日本国中に残っている天守の中で唯一、各階に床の間が残っているのです。

 以上のように松山城天守は、幕末いちばん最後に建った、いちばん新しい天守ですが、各階に床の間があり、天井が張ってある。そして入り口は、穴倉に行く入り口と上に上がる入り口が別である。城下町を向いた正面に三角形の破風を向けている。すべて信長の安土城、それから秀吉の大坂城の天守、それらを正しく受け継いでいるということになります。松山城は、「天守創建時の思想」が復活した記念すべき天守だと見ることができるわけです。

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