松山城はここがすごい
松山城には、堀之内(三之丸)からも見ることができる「登り石垣」という、全国的にも珍しい貴重な石垣があります。
石垣について
登り石垣とは

登り石垣
「登り石垣」は、中国にある「万里の長城」と同じく、山腹から侵入しようとする敵を阻止する目的のため、ふもとの館と山頂の天守を、山の斜面を登る2本の石垣で連結させたもので、豊臣秀吉の朝鮮出兵の際、日本遠征軍の倭城築城で採られた防備手法と言われています。
国内の現存12天守の城郭では、松山城のほか彦根城だけにその存在が確認されており、当時の東洋三国(日本・朝鮮半島・中国)の築城交流史をうかがえる重要な資料として評価されています。
松山城では

県庁裏登城道からご覧ください。
水軍の将であった加藤嘉明公は、朝鮮出兵で倭城(安骨浦城)を拠点としており、その経験から松山城築城に際しても、「登り石垣」をふもとの二之丸と標高132mの本丸間の防備として用いたものと考えられています。
松山城の「登り石垣」は、南側の部分はほぼ完璧な形で残っていますが、残念ながら北側は一部分しか残っていません。古図には完全な形で描かれていることから、幕末以降に何らかの理由で、取り壊わされたものと思われます。
※「登り石垣」そのものを登ることはできません。見るためには県庁裏登城道が適しています。
石垣

大手門跡から迷路のような石垣の重なり
石垣は、近世城郭の大きな特徴で、中部地方より西に作られた城郭に壮大なものが築かれているのも特色の一つです。
江戸幕府は、一国一城令や武家諸法度などにより、石垣の新設はもとより、修復に至るまで厳しく取り締まっており、城の防備能力を大きく左右することの証しともなっています(それに比べ天守以外の櫓の修復などについては、まだ緩やかでした)。

屏風折の石垣
松山城の石垣は、倭城の経験がある加藤嘉明公により、ほとんどのものが築かれており、特に本丸の高さ14mを超える屏風折の石垣などは壮大なもので、軍事目的を超えた芸術性をも楽しむことができます。
なお、天守のある本壇の石垣は親藩松平氏によって再建されたと言われており、一段と美しい仕上がりとなっています。石垣が描く扇状の曲線美と、その上にそびえる壮麗な城郭、これも松山城の魅力の一つです。
石垣の刻印(サイン)

本丸広場東石垣の最上部
石垣をよく観察していると、さまざまな模様の刻印を見かけることがあります。この理由は、いろいろな説がありますが、一般的には、石工組頭のサインと言われています。これは、複数のグループが石積み作業に携わっていることから、責任を明確にするため、石材のグループ分けや石工達の作業範囲の区切りのために付けられたというものです。

松山城夏まつり
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天守・櫓・門
松山城のひみつ
松山城周辺観光情報
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